山梨県の子ども・若者の居場所情報サイト
やまねのさんぽみち
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ひなたぼっこ10周年記念原稿より
「木漏れ日の中で」
下村美鳥
僕は学校が嫌いだ。態度や口にはしないが子どもを下に見る先生は嫌いだ。「君の将来のためだ」と強いられる勉(つとめ)なんぞ大嫌いだ。オレは授業が嫌いだ。先生はいつも答えを持って偉そうに突っ立っている。オレは敬語が嫌いだ、尊敬できないから。オレは校則が嫌いだ。オレは囚人じゃないんだ。拘束しないでくれ。小学生、中学生、高校生時代の私の素直な心の叫びです。
これを読んであなたはどう思うでしょうか。「私も本当にそう思う」でしょうか。それとも「子どもの考えだ、大人や社会のことを何もわかっていない」「やっぱり学校には行かないといけないし、勉強もしないとダメじゃない、義務教育だし」でしょうか。それぞれ感じることはあるでしょうが、この後半の2つの意見は私が小さいころから知識と想像力の乏しい大人によく言われたことです。この意見に対して、私はこう思います。
子どもに大人の考えや価値観を強要しないで下さい。子どもには子どもでいる権利があります。どうしても子どもに物事を諭したい時は子どもの目線に立ち、子どもが想像し理解できるように話して下さい。子どもには学校に行く権利もあれば行かない権利もあるのです。義務教育の「義務」は、子どもにはありません。「義務」は親にあるのです。子どもには権利があるのです。つまり子どもには教育を選択する自由があるのです。受け身の勉強はしなくてもいい、主体的な学びをすればいい。
今、少年の頃の私に次の言葉を贈りたいと思います。「君の感じることを大切にし、想うこと、考えていることを話して下さい、行動して下さい。君の尊敬できる人のそばにいて下さい。興味のあることは何でもやってみて下さい。大切だと感じるものを大切にして下さい。」
「ひなたぼっこ」には、太陽のような温かい目と陽気な心を持つおばあちゃんと、満月のような静かな眼差しと穏やかなこころを持つおじいちゃんがいつもいます。そんな方々の中で、子どもたちはひなたぼっこするように、のびのびと自分なりの成長をしていけるのです。私もまた「ひなたぼっこ」の愛を浴びながら成長し、今年成人式を迎えました。私は「ひなたぼっこ」がちいさな古民家で小さく花開いた初期の頃からのメンバーです。その頃私は童顔の少年でした。私にとって家で過ごす毎日も幸せでしたが、水曜日の「ひなたぼっこ」は特別な日でした。水曜日が待ち遠しくて「今度ひなたぼっこに行ったらみんなと散歩して、セエさんと将棋して、その後みんなでボードゲームしよう」などと考えていました。そんなですから、水曜日の朝になると誰よりも早く起きてお弁当を作り、母が支度出来るのが待てなくて、弟と一緒に、「ひなたぼっこ」までの上り下りの激しい道を2時間かけてキックボードで駆けて行くのでした。そして誰よりも早く「ひなたぼっこ」に着くのでした。
「ひなたぼっこ」の扉を開くと、子どもの繊細なガラスの浮き玉のような心をシワシワの手で優しく撫でてくれて、シワクチャの笑顔で温めてくれて、少しずつ浮き玉の内に平安の愛の光を灯してくれるのでした。
4人の子どもを一人で育てていた母にとっても水曜日は安らぎの日になっていた。365日子どもと一緒で一人の時間は無かったが、子どもたちが「ひなたぼっこ」に行っている間は自由に母の時間を過ごしただろう。このように、親にとっても心の休まる日になり、子育ての心の余裕も「ひなたぼっこ」は提供しているのです。
私は「ひなたぼっこ」で多くの子どもたちを見てきました。いつも笑顔で風のように走り廻る子、甘えん坊でおばあちゃんに飛びつく小、静かでおとなしいけど本当は寂しがりの子、優しく繊細な子、十人十色、千差万別です。その中には学校で傷つき命のロウソクの火が弱々しく風に揺れていた子もいます。そんな子どもたちの心が、「ひなたぼっこ」のおばあちゃん、おじいちゃんのあるがままの私たちを包んでくれる愛で癒されていき、命の炎が再び燃え盛るのでした。それを最も近くで見ていた私はある事を悟りました。それは「人の心癒すもの薬にあらず、真に心癒すものは愛にだけあり」という事です。
「病は気から」と言うほど、病んだ心から病気になることがあまりにも多いのです。そしてこれらの病気は薬では根本的には治りません。もし仮に治ったとしても原因が解決していなければまた病気になるでしょう。今日の西洋医学は「病を見て人を見ず」的なところが強く、私は好きではありません。ですが、西洋医学も良いところもあるはずです。私は医学に頼るべき時と、頼らない方がよい時を見極めるために医学を学ぶことに決めました。私が国立の医学部に入学出来た時、私は高らか言おう「学校に行かなくても医学部に入ったぜ」と。