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「娘に寄り添いながら」

H.M  

 

こんにちは。三井と申します。今日はみなさんの前でお話させて頂くということでとても緊張していますが、体験してきたことをできるだけお話できればと思っています。よろしくお願いします。

 

突然の不登校

 

わが家には娘が二人いて、上の娘は今年十九歳、下の娘は十六歳になります。 不登校になって しまったのは十六歳の娘です。 娘が不登校になったのは十一歳、小学校五年生の時でした。朝になるとお腹が痛くなったり、泣き過ぎて過呼吸を起こしたり、その度に学校に連絡をし、その後小児科に連れて行く毎日、その繰り返しでした。小児科の先生からは「学校で何か問題があると思うので、学校で話を聞いて来て下さい。」と言われて、学校に話を聞きに行くと「とても真面目でよく気がついて、楽しそうに過ごしています。 家の方ではどうですか?」と言われました。 何が原因でこんな状況になってしまったのかその時は何も分からずに、娘に理由を聞くと「ごめんなさい。ごめんなさい。」と泣きながら謝るような状況でした。

 

 

いい子でいなければいけない

 

当時は私たち親も、学校は行かなければならない、何としても行かせなければならない、その思いでいっぱいでした。無理やり腕を引っ張って玄関までひきずったり怒鳴ったり、私自身の精神状態も普通ではなかったと思います。

 

三か月ほど経った頃に、娘の方から「学校が怖い。学校に行ってしまえば大丈夫だけれど、行 くまでがつらい。」と言われて、初めて、今まですごく頑張っていたことに気がつきました。

 

学校生活の中で、先生に怒られないでいい子でいる。 楽しく振舞う。その毎日に神経を使い、 一日終われば次の日の不安がおそってくる。そんな毎日に疲れてしまったのだと分かりました。 それでも何とか少しでも学校に行かせようと必死で、私も一緒に六年生の春まで保健室登校をしました。でも娘にしたらとても苦痛だったのだと思います。 学校に行くことが大事で、娘の思い私は全然気付かず、娘はストレスで肥満になり、遠くなら買い物に行くことができるのに、近くは誰に会うか分からないので、家から出られない。ますますひどくなっていきました。

 

夜になれば怖くて眠れなくなり、朝方明るくなると安心して眠りにつく。私も睡眠時間が二時間ほどになって疲れてしまい、その話をまわりにすると「朝早く起こさないから夜眠れなくなって生活のリズムが変になっているから、戻さないといけないよ。甘やかしてはいけない。」と言われました。一般的にはそうかもしれません。でも娘のような状態になってしまったら、朝いくら早く起きても、いくら疲れていても、夜は眠れないのです。別に甘やかしているわけではないのです。でもその事をまわりの人に理解してもらうのは、とっても難しい事なんだ、と私自身改 めて思い知らされました。

 

「不登校」というだけで、どうしたらよいか分らない。誰に相談してよいか分らない。まわりにはなかなかすぐには理解してもらえない。どこへ聞きに行けばいいのかも分からない。そんなことがたくさんありました。 実際に私も誰に相談したらいいのか分からず、最初は市役所の保健婦さんに電話で相談して、病院を紹介してもらいました。病院へ行くことも選択肢の一つだと思いますが、まずは誰かに今の気持ちを分かってほしい。それだけでした。

 

 

初めて訪れたひなたぼっこ

 

そんな状況の中、六年生の夏に「ひなたぼっこ」が始まると聞いて、娘と相談して行くことにしました。初めてのことだったので、とても緊張して行きました。スタッフのみなさんが「よく来たね。待ってたよ。」と温かく迎えてくれました。

 

当時、学校の校長先生、担任の先生、病院の先生、スクールカウンセラーの先生、色々な方と話し合いが続いていましたが、それでも娘は夜も眠れない。毎日泣いている。そんな日々に心身ともに疲れ果てていた私たちにとって、とても嬉しい言葉でした。それから娘は、毎週ひなたぼっこに行くのが楽しみになり、私たち親もスタッフのみなさんに話を聞いてもらったり、相談したりしながら、そういう娘が「毎日楽しく人と話ができて、よく笑う。そういう毎日でいいのではないか。学校へ行くことがすべてではない」ことに気がつきました。

 

ひなたぼっこに行けるようになったことで、やる気が出て「中学へ行ってみよう」と思えるようになり、その年の四月中学校へ入学しました。 三ヶ月経った頃に、また行かれなくなってしまいました。娘は三ヶ月間、本当にがんばったのだと思います。私たち親も小学校の時の経験があ ったので、すぐ学校側と対応ができました。しかし本人はがんばって中学校へ行こうと思った分、学校へ行かれなくなってしまった事がショックで、ひなたぼっこにも行けなくなってしまい「誰にも会いたくない」と外へ出なくなり、一日中泣いていたり、精神的に不安定な状態が十ヵ月ほ ど続きました。

 

でもその十ヶ月の間、娘が少しでも何かやりたいと思ったことがあれば、私も一緒にやりました。今日も作品の展示をして頂いていますが、折り紙や切り絵、ビーズアクセサリーや消しゴムはんこなど、興味が少しでもあるものは、何でも作ってみました。

 

この十ヶ月の間も、西岡さんが一週間に一度くらい声をかけて下さり、時々家に来て下さった ひなたぼっこには行けなくなったけれど、会いたいんだけれど、行けない、会えない状態でした。でもひなたぼっこを通じて、色々な人と知り合い、たくさんお話を聞かせてもらうようになって、私自身少しずつ変わっていったと思います。

 

がんばらなくていい

 

 

学校で最初の頃は「ひなたぼっこに行っている」と言うと、どんな所なのか、どんな組織なのか、色々訊かれました。理解してもらいたくて、たくさん話をして「学校へ行かれなくなってしまった子どもや親にとってなくてはならない場所だ」と言ってきました。

 

娘が不登校になってから五年間の間に、周りの理解もかなり前向きに変わってきていると思います。 娘自身はひなたぼっこに行っていても、以前の状態に戻ったわけではありません。元気な日もあれば、暗い日もあります。「大丈夫。頑張らなくていいよ。」と声をかけながら、日々娘のペースに合わせて、一緒に色々考えながら過ごすようにしています。

 

 

今年三月に、ひなたぼっこの作品展があり、娘が自分で作った作品の店番をしていて、見に来て頂いた方々と話をしたり作品の説明をしたり、初めて会った方にも自分から話ができるようになり、とても嬉しく思いました。今月には、初めてお友達と電車に乗って遊びに行くことができました。 家から出られない、人と話ができない、そんな娘の大きな一歩でした。

 

いつかは自分ひとりで考えて行動したり、困った時には相談できるように、これからは娘がいろいろな人とコミュニケーションをとれるように、私たち親も焦らず一歩一歩、ゆっくり対応していこうと思っています。今日この場でお話させて頂いたことは、私たち親にとっても、また一歩前へ進めたように思います。お話を聞いて頂きありがとうございました。

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